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練習する岡山城東の選手ら。後方中央が監督の戸田英樹=2024年6月6日、岡山市中区、大野宏撮影
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 (第72回全国高校野球選手権岡山大会 決勝 岡山城東3―2倉敷商)

 1990年夏の岡山大会では、開校4年目の県立の普通科高校が大方の予想を覆し、甲子園への扉をこじあけた。

 7月28日の決勝は、岡山城東と倉敷商の顔合わせとなった。夏3連覇を目指す倉商に対し、城東は前年夏に初勝利を挙げたばかり。倉商の主将だった大坪亘(51)は「周りの雰囲気は『勝って当たり前』。僕らもみんな勝つつもりでした。春の試合もありましたし」。

 春の県大会では選抜帰りの倉商が圧勝。城東のエース浦上義信(51)は四回までに8点を奪われ、試合後に泣いたという。ただ、城東の監督だった山崎慶一(67)は「後半は五分。手も足も出なかったわけじゃない」ととらえていた。

「甲子園、いつから始まるんですか?」

 その決勝。浦上は二回に先取点、四回に追加点を許す。「ベンチで山崎先生に激しい言葉を言われ、あれで心がつながった」。連投の疲れで得意のカーブにスピンがかからなくなっていたが、その「死んだカーブ」で五回に相手4番から三振を奪った直後、試合の流れが変わる。

 城東は五回、2死から8、9…

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